悪い人の話:その1

私がいじめられていたのは、小学校1年生から4年生にかけてだった。まずは、その始まりから書こうと思う。

幼稚園の頃の私は、ズレたところのある子どもだったかも知れないけれど、いじめられてはいなかった。

七夕の短冊に、大きくなったらウルトラの母になれますように、と書いて、先生に変な顔をされたことを覚えている。
小学校に入って幾らも経たない内に、クラスメイトのA――前述の同窓会で再会した加害者だ――に、髪の毛が茶色っぽいことをからかわれた。当然染めていた訳ではない。先祖に外国の人もいない。ただ生まれつき髪の毛の色が少し薄かった。
髪の毛うんこ色、と言われた。うんこクリーム塗ってるんだろう、とも言われた気がする。
入学直後は出席番号順の席で、最初に席替えの時。並んだ机の右側が男子、左側が女子という決まりで、めいめいが座りたい席に行って、他に希望者がいればじゃんけんをして、勝った人がその席に座れる、という席の決め方だった。
私は窓側の列の一番後ろの席を希望して、その席は男女ともに一番人気のある席だった。
私はじゃんけんに勝ってその席に座れることになった。そう決まった瞬間、隣り合う右側の席でじゃんけんをしていた男の子たちは、一斉にその席を辞退した。最終的に私の隣の席に決まった男の子は、机を私の机にぴったりくっつけてはくれなかった。
小学校には給食があって、給食は教室で、4人ずつグループで机をくっつけて食べた。その時も、グループの他の3人は机をぴったりとくっつけてはくれなかった。
私は”××きん”という菌に感染していて――××は私の名前だ――、私に触るとその菌に感染するのだということになった。
いじめの主犯はAとBという二人の男の子で、二人とも運動神経が良く、友だちに囲まれて教室の真ん中にいる子どもだった。
どうして私にだけ”××きん”なんて言うのか、とAとBに問いただしたことがある。名前が2文字だからちょうどいいんだ、と言われた。他にも2文字の名前の子はいるよ、”○○きん”でもいいじゃん、と言ったら、どうして○○ちゃんにそんなひどいことを言うんだ、と責められた。
童謡の南の島のハメハメハ大王の”ハメハメハ”の部分に私の名前を入れた替え歌を作られた。クラスのみんなが楽しそうに歌っていた。
よく泣いて家に帰った。母は、お前がすぐそうやって泣くから皆からかうんだ、泣くのを我慢しろ、と言った。祖母は、顔で笑って腹で泣きなさい、と言った。母や祖母の言うことは、それはそれで正しいことだった、と思う。ただ、それは泣かされて帰ってきた6歳の子どもに言うことではなかった、と大人になった今、思う。
東北の、雪がたくさん降る地域で、校舎は古く、冬はとても寒かった。教室には教卓と出入り口の間に大きなストーブが一つだけあって、休み時間のチャイムが鳴ると、皆我先にストーブの周りに集まった。
脚の遅い私は、皆より一歩遅れてストーブに当たりに行った。先にストーブを囲んでいたクラスメイトたちは、皆で輪になって協力して、私がストーブに当たれないようした。
いじめがなくなった後に仲良くなった人もいたけれど、この人もあの時私をストーブの輪に入れてくれなかった子なんだ、と、いつまでも忘れることはなかった。
C子という女の子がいて、この子は何かと私に突っかかってきた。C子も運動神経が良く、友だちの多い子どもだった。
日常的に悪口を言われた。そばを通る時には小突かれた。私は負けず嫌いな子どもだったので、そういうことをされると、何をするんだ、と反撃した。悪口を言われたら悪口を言い返し、叩かれたら叩き返した。先生は、喧嘩両成敗だ、と言って、私とC子の両方を叱った。それは何かおかしいと思ったけれど、何も言えなかった。