悪い人の話:その3

2年生から3年生に進級する時、クラス替えがあった。田舎の、一学年が50人ほどの小さな学校で、同級生は全員名前で呼び合う仲だったから、クラスが替わってもいじめはなくならなかった。

 机をくっつけてもらえない。 上履きを隠されて、来賓用のスリッパを借りて、学校中を自分の上履きを探して回る。

体育で二人組を作る時、誰も私と組んでくれない。
通りすがりに叩かれる。
登下校中に石を投げられる。
上級生にファミコンのソフトを取り上げられる。
羽交い絞めにされて、大嫌いな虫を目の前に突き付けられる。とっさに振り払った腕が虫を殺してしまい、酷い酷いと非難される。虫はいまだに大の苦手だ。
新しいクラスの担任は新任の男の先生で、今思えば、この先生は私を助けてくれようとしたらしかった。
学級会の議題が私、という時があった。教卓の脇に立たされた。私がいじめられなくなるにはどうしたらいいと思うか。挿された誰かが、いじめられている時に居合わせたら助けてあげればいいと思う、と言ったように思う。何も解決はしなかった。
この頃はC子に突っかかれることが多かったと思う。やっぱり私は負けず嫌いで、やられたら同じことをC子にやり返した。そうすると取っ組み合いの喧嘩になって、クラスメイトが止めに入った。気付くと私はクラスメイトに羽交い絞めにされていて、C子のことは誰も取り押さえず、C子はあっかんべー、なんてしていた。それでも喧嘩両成敗だと、C子と私が同じだけ叱られた。
放してと言っても放してもらえず、私を羽交い絞めにしていた子の脚を蹴り飛ばすと、痛い、酷いと非難された。
そうして泣いて帰ると、母親はやっぱり私が泣くからますますやられるのだと言った。
何かの拍子に鼻血が出て、教室の硬いフローリングの上に強く押さえつけられて、誰にも拘束されずににやにや笑うC子を睨んだ時の気持ちは、今も覚えている。
ある時、私にはお気に入りのピンクのシャーペンがあった。何かで削って自分の名前を書いて、大切にしていた。それがある日、私のペンケースから無くなった。同じシャーペンがC子のペンケースの中にあった。私の名前はヤスリをかけたようになって潰されていた。C子が盗んだのだと言っても、誰も信じてはくれなかった。先生を呼んで、私のシャーペンがなくなった後にC子が同じシャーペンを持っていたこと、ヤスリで削ったようになっている場所には私の名前が彫ってあったこと、私はシャーペンを買った店を言えること、C子はヤスリの傷の理由も買った店も答えられないこと、全部説明して、ようやくシャーペンを返してもらった。
何故C子はこんなに私を目の敵にするのか、先生の前で問うた。そういう性格なんだ、とC子は答えた。性格なら仕方がない、と先生は言った。私の名前を塗りつぶした傷のことは、謝ってはもらえなかった。